京都地方裁判所 平成4年(人)2号 判決 1992年8月07日
請求者 甲野花子
右代理人弁護士 田中義信
被拘束者 甲野二郎
右代理人弁護士 内山正元
拘束者 甲野一郎
右代理人弁護士 加藤英範
主文
一 被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。
二 本件手続費用は拘束者の負担とする。
事実・理由
第一請求者の求める裁判
主文同旨の判決。
第二事案の概要
一 争いのない事実等
1 当事者の身分関係
請求者と拘束者は、昭和六二年一月二九日に婚姻の届出をした夫婦である。被拘束者は、両者の長男として、平成元年四月二四日に出生した。
2 拘束の事実
拘束者は、請求者肩書地(以下、九条山の家という)で被拘束者の世話をきちんとみるから安心して腰痛治療に行きなさいと請求者に嘘を行って、これを信じた請求者が家を空けた隙に、被拘束者を九条山の家から連れ出して、拘束者肩書地所在の住居(以下、下鴨の家という)に移した。以後、現在に至るまで、拘束者は、右住居において、被拘束者を監護している。
3 被拘束者の現在の状況
被拘束者の世話は、現在、ヘルパー、拘束者の長女甲らがみており、京都市上京区の保育園に通園している。
4 請求者と拘束者の婚姻関係の現状
拘束者は、平成三年二月一六日にそれまで請求者と同居していた九条山の家を出て以来、別居状態が続いている。
二 争点と当事者の主張
1 争点
(一) 夫婦のいずれに監護させるのが子の幸福に適するか。
(二) 拘束開始の違法性。
2 請求者の主張
(一) 請求者により監護されることが、被拘束者の幸福に適う。
(1) 被拘束者のように幼い子供は、母親の監護の下に育てられるのが相当である。
(2) 被拘束者のおかれている環境は、次のとおり、被拘束者の発育にとって有害である。
イ 被拘束者は、下鴨の家の外に出ることもままならない。
ロ 被拘束者の世話をするヘルパーは、拘束者の愛人である。
ハ 拘束者と、拘束者の長女甲とは、親子以上の関係がある。
ニ 拘束者は女性関係が乱れており、被拘束者の監護者として適当でない。
(二) 本件拘束は、以前から周到に計画し、請求者に虚言を用いて幼児を奪い取ることにより、巧みに行なわれたものであって、違法性は極めて強い。
3 拘束者の主張
(一) 拘束者に監護されることが、被拘束者の幸福に適う。
(1) 被拘束者は、既に一年五か月以上、下鴨の家で拘束者の監護の下に暮し、その生活は安定している。
(2) 被拘束者は、現在、ヘルパー一人が主として、またこれに甲も加わって、その世話をしており、監護環境に問題はない。
(3) 請求者は、被拘束者を監護するのに不適格である。
イ 請求者は、被拘束者の母親であるにも拘らず、被拘束者の世話をあまりしてこなかった。被拘束者の生後六か月頃と、一年七か月頃には、被拘束者を殴打した。
ロ 請求者の異性関係は乱れている。
ハ 請求者は仕事をしておらず、拘束者から送金される生活費に頼って生活している。
(二) 本件拘束開始の方法や態様に問題があるとしても、これはやむをえないものであった。請求者は、日常の家事や育児を放棄し、これを拘束者に押しつける等、妻、母親としてあまりにも不適格であった。そこで、やむをえず、請求者を家から離れさせ、その間に被拘束者を下鴨の家に連れ去ったのである。
第三裁判所の判断
一 事実の認定
本件疎明資料(とくに、<書証番号略>)及び第二の一の争いのない事実を総合すると、以下の各事実が一応認められる。
(一) 被拘束者は、出生後一年九カ月余の期間を請求者及び拘束者の監護の下に暮し、平成三年二月一六日に拘束が開始された後一年五か月余の期間を拘束者の監護の下に暮している。
(二) 拘束者と請求者とは、現在、互いに愛情を失い、その婚姻関係は破綻している。
(三) 請求者は、本件拘束の当初から、あるいは被拘束者の所在を必死に探し、あるいは拘束者に対し被拘束者との面接交渉を申し入れ、京都家庭裁判所における夫婦関係調整の調停の席上、拘束者に対して被拘束者を引渡するように求める等してきた。しかし、人身保護請求等は、弁護士という拘束者の職業に配慮して、また、自己の弁護士からも止められこともあって、差し控えていた。
(四) 被拘束者の世話を実際にみているのは、ヘルパー一人と、拘束者の長女甲である。被拘束者は、平成四年四月から保育園に通園している。
(五) 請求者は、現在仕事に就いておらず、主として拘束者から送金される婚姻費用に頼って生活している。
二 両当事者の監護能力等
右認定の各事実、前示争いのない事実、疎明資料(とくに、<書証番号略>)及び審理の全趣旨を総合すれば、被拘束者は、現在、拘束者の監護の下で一応安定した生活をしているように見えるが、拘束者自身は、弁護士として終日多忙で、休日を除き、被拘束者の世話をさほどみているわけでないことが認められる。他方、請求者は、被拘束者の誕生から本件拘束に至るまでの一年九か月余の間、母として被拘束者を養育していた。なお、前示第二の三3(拘束者の主張)(一)(3) ロの事実は、本件全資料によってもその疎明がない。また、拘束者の主張(一)(3) イの事実のうち、請求者が被拘束者を叩いたことがあることは、本件疎明資料によって認められるが、これは、母として、被拘束者のいたずら等を咎めたものであって、それが母親として異常な態度の暴行であったとは認められない。
なお、請求者は、少し健康に不安もあるが、とくに母親として子供に対する愛情に欠けるとはいえず、母親として著しく不適格であると認めるに足る疎明がない。
三 拘束開始の違法性
1 拘束開始の方法、態様の概要は当事者間に争いがない(第二の一2)。
2 本件疎明資料、審理の全趣旨に照らすと、本件拘束の動機、経緯は次のとおりであると認められる。
(一) 請求者は拘束者に対し、その女性関係を詰り、夫婦喧嘩となって、その挙句の果て、請求者が被拘束者を置いて家を出た(<書証番号略>)。
(二) 右が度重なった。拘束者は、その都度、被拘束者の世話に時間をとられ、自己の仕事(弁護士業務)に支障を来すこととなり、困惑した。
(三) 拘束者は、その対抗策として一計を案じ、夫婦が同居していた九条山の家から、請求者が腰痛治療の通院、静養のため請求者所有の壬生のマンションへ帰るように仕向けた。その隙をみて、被拘束者(当時一才九月)を下鴨の家へ連れ帰り、九条山の家は鍵を変えて、請求者を閉め出した。
(四) 以後、拘束者は請求者を下鴨の家に寄せつけず、母たる請求者に幼児である被拘束者を全く面接させない。
3 前認定二、三2の各事実、審理の全趣旨に照らせば、本件拘束が、拘束者主張のように正当なやむをえない行為として違法性を阻却するものとは、到底認められない。
四 子の幸福と本件拘束の当、不当の検討
以上認定の各事実、本件疎明資料に照らすと、次のとおり、子の幸福を主眼として、請求者に対する本件拘束を不当であると認めるのが相当である。
(一) なるほど、拘束者は経済的に裕福であり、被拘束者にベビーシッター、ヘルパー等をつけ、被拘束者の義姉に当る甲もいて監護を手伝いうる体制にある。さらに、拘束者は、高齢で被拘束者に甘く、これを盲愛している。しかし、職務多忙で自ら被拘束者を監護できる時間的余裕がない。
(二) 請求者は、現代無職であるがマンションを所有し、平隠に生活している。拘束者から養育費などの送金を受けて被拘束者を母親として養育する時間は十分であり、その能力にとくに欠けるところもない。
(三) 幼児にとって母親の愛情は、その発達過程やその情緒、心理にとり、とくに重要であって、幼児の監護者は、特段の事情のない限り母親にすべきである。母である請求者は、経済的に父たる拘束者に劣るとしても、母との面接を一切断ち切って父の下で養育される幼児(被拘束者)は、その精神生活その他健全な人格形成の面で、前示拘束者の年齢、多忙な職務、離婚歴を含む複雑な女性遍歴などに照らしはなはだ不安定な要素を包含しているといわざるをえない。
そして、前認定のとおり、被拘束者の下で一年五か月余の期間、外見上安定して物質的に満ち足りた生活を送ってきたが、それ以前の一年九か月余は、請求者も、母として、被拘束者を直接監護してきたのである。これらを比較衡量すれば、監護者の交代が被拘束者に与える動揺も比較的短期間に治まるものと推認できる。
したがって、今後は母親である請求者の下で監護されることが、長い眼でみて、結局は現在三歳の被拘束者の幸福に適するものと考えられる。
(四) したがって、子である被拘束者の幸福に適することを主眼とし、これに、前示本件被拘束の手段、方法の違法性を加味して判断するとき、本件拘束状態は不当であるというべきである。
五 結論
よって、本件拘束の違法が顕著であるから、本件請求を認容し、人身保護法一六条に基づき主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 吉川義春 裁判官 中村隆次 裁判官 佐藤洋幸)